金唐革の復元 CUOI D'ORO WORLD
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金唐革とは What's "Kinkarakawa" そ の 歴 史 製法 ・ 技法 工房と作者の紹介

金唐革・その歴史

CUOI D'ORO(クオイドーロ)は、今から約 500年前のイタリア・ルネサンス期から、
200年前のナポレオン革命の直前 ロココ時代の終わり頃まで、
約 300年の間にだけ作られた幻の皮革芸術です。

CUOI D'OROとは何か・・・
これを簡単に説明すると「タンニンでなめした牛革に特殊な金属箔を貼り、
金型を使って浮き出し模様をつけ彩色を施したもの…」となります。



CUOI D'OROを芸術として完成させたのはフイレンツェの画家サンドロ・ボッティチェリでした。
彼以前にもこれと良く似たものが存在してはいましたが、
CUOI D'OROにおいて革工芸はその頂点を極めたと言っても過言では有りません。
 ボッティチェリはフレスコ画やテンペラ画に代わる壁画装飾として、CUOI D'OROを考えだしました。

そのためにこの革芸術は次の二つの大きな特徴を備えています。

一つは建築に負けないだけの耐久性です。
自分の作ったCUOI D'OROに、どれほどの耐久性があるのかボッティチェリには知る術も無かったでしょうが、

彼の作品は500年後の現在もほぼ完全な形で残存しています。

もう一つの特徴は、壁全体を装飾する為にそれだけの大きさのものが必要であったと言う事です。
しかし、一枚の革の大きさには自ずと限界が有ります。
そこで彼が考え出したのは一つの金型から複数の作品を作る事が出来る、
いわゆるマルティプル・アートとしてのCUOI D'OROでした。
この新しい壁画装飾はさっそくメディチ家を始めとする当時の貴族や権力者達に受け入れられ、

以降300年に亘ってヨーロッパ各地の宮廷や寺院の壁を飾ってきました。



ところが今から200年前、ロココ期の終わりを境に良質のCUOI D'OROは作られなくなりました。
革と金属箔を接着するのに使われていた塗料(ニス)が、新しいものに替わったために箔を貼る事が出来なくなり、
金粉などで代用せざるを得なくなったからです。
次第に粗悪なものしか作られなくなったCUOI D'OROは、いつしか世の中から姿を消しています。

金唐革とは何か・・・
その後、一度だけこの幻の芸術が脚光を浴びる時代がありました。
それは明治の初めから大正にかけての日本での事です。ルネサンス以降、
ヨーロッパ各地の宮廷や寺院の壁を飾ってきたCUOI D'OROでしたが、
建築の建て替えや修理を期に剥されて売りに出されたのです。

その一部は各国の美術館などに納まっていますが、大部分は日本人が買い取って持ち帰ってしまいました。
そしてこれらは小さく裁断され、袋物や小物に仕立て直されて「金唐革」と言う名前で売り出されました。
この金唐革は、当時大流行を起こしましたが、それも大正初頭まで約50年間の事に過ぎませんでした。
理由はヨーロッパで売りに出されていたCUOI D'OROが底をついたからです。
そして日本に渡ったCUOI D'OROも震災と戦火によって多くが消失してしまいました。




今や世の中から完全に姿を消そうとしていたCUOI D'OROは、日本で再び甦る事になります。
京都の徳カ彦之助匠はヨーロッパの古いCUOI D'OROの切片を化学的に分析する事に依って、
国別・年代別にその姿を初めて浮き彫りにしました。
そして50年以上に及ぶ研究の結果、CUOI D'OROの起源を突き止めると共に、当時の物と同等或いは
それ以上の品質をもつCUOI D'OROの復元に成功したのです。
 今、ルネサンスより500年の時を経て、再びCUOI D'OROを世の中に送り出す時がやって来ました。


ボッティチェリが人類に残した幻の芸術、その心を その香りを漂わせた魅カ有る黄金の革CUOI D'OROをここにご紹介いたします。